隠れ里の女

極貧に生まれ、親兄弟の面倒を見ながらも必至にその境遇から逃れようともがくひとりの女を描く。

流れ雲 第三章〜堕落〜

 年末、誠の会社も恒例の忘年会が近くの温泉街で執り行われ、希望者は泊まることも出来ると言うことで宴は多いに盛り上がり、その場の雰囲気やかえる心配が無い気安さから二次会三次会と、とことん同僚達に連れまわされる羽目になった。
 元来、酒もタバコも一切ダメで こういった場所でも会話すらまともに出来ない誠は出かける時間になってもぐずぐずと雑用にことかけて自宅を後にしない。
「どうしたの 時間間に合わないんじゃない」
誠のために着替えを用意したり財布の中身を確かめたりと こまめに気を使いながらも紀子は誠の行動に合点がいかなくて、ついせかす言葉が口をついた。
「うん、行って来ます。多分帰れないと思うから戸締りはしといていいよ」
わかってると答えた紀子だが見送った後姿に普段の元気が見られないことで直感的に或いはと思ったりもした。
街で拾ったタクシーが会場のホテルに着いたのが定刻より十分遅れとなった。
「おい 遅いぞ!!何やってっんだ」
「とっくに宴会は始まっとる! 新人がそんなことでどうする」
会場に着くや、幹事の叱責を受けることになった。
恐る恐る会場の襖を開けた途端目の前にいた先輩からコップを差し出された。
「飲め、罰に駆けつけ三杯だ」
心配して気をもんでいた幹事である二期先輩の主任 山田は嘆息した。
「すみません、でも ちょっとだけに・・」
言い訳をしようが懇願しようが情け容赦なく注がれるビールや酒が誠の後悔を更に深めた。
「お前だけ飲んでないで上の人に酌をせんかい!」
開始間もないと言うのにすでに眼が据わってきた左隣の敷倉係長が最初に一喝してきた。
こういった場に慣れていない誠にしてみれば何がなんだかわからなくて、ただオロオロする姿に右隣にいた裕子がこっそり耳打ちしてくれた。
「一緒に回ってあげるから、付いて来て」
「お願いします」
裕子は足元に隠していた口を切ったばかりのビールを手にして社長の前に進み出た。
「社長〜〜 いかがですか」
「お〜 裕子くんか、そうか ありがとう」
ビールをゆっくり注ぎながら裕子はそれとなく社長と目を合わせ、意味ありげに微笑む。
「ま、一杯やれ」
一口飲んだ自分のコップを裕子に渡しビールを注ぎ返す表情にある種の感情を見て取って誠は鼻白んだ。
「美味しい〜」
飲み干すまでの瞬間、裕子に注がれる眼が足元から上に向かって睨め付ける。
「社長さん、新人の誠くんです」
裕子は酌をしろと眼で合図を送ってきた。
「誠です、よろしくお願いします」
「そうか・・」
裕子の時とは打って変わって一口も口をつけない中にコップを下に置いてしまったが、すでに社長の目はあらぬ方向に注がれ、次の瞬間一種異様な雰囲気があたりを推し包んだ。
社長が横目で睨んだ先を見ると誠が社長に気を取られている間に裕子は専務に近づき酌をしている。
裕子は専務に酌をしながら、それとなく近くに早く来るように合図を送ってきたが、誠の気が付くのが一瞬遅かった。
「酒ばっかり飲んどらんで歌でも出さんかい、のう専務」
社長の一言でそれまでの盛り上がった雰囲気が一気に崩れるのがわかった。
「誠 お前のことだよ」
専務のお声係である敷倉係長からまるでこの場の雰囲気を壊したのはお前のせいだとばかりに指示が飛んだ。
深夜のカラオケボックスで歌うのとはわけが違い、相手は上司ばかり、しかも雰囲気に険悪なものが窺える。
壇上に立った誠にそれとなく場を盛り上げようとコンパニオンが差し出す楽譜、こちらを見ながら何事か小さくつぶやく、それが曲だとわかっていてももはや混乱した頭では何を考えていいやら訳がわからなかった。
オレンジレンジの『花』 その曲のイントロがゆっくりと流れ出す。
わずかな沈黙の後小さな歌声が曲に載った、それが寄り添ってくれたコンパニオンの声だとわかって誠は消え入りそうな声で後に続いた。
何を歌っていたかすら覚えていなかったが、とにかく壇上から降りることが出来た。
誠が壇上を降り、席に戻る頃になっても会場には一向に笑い声が聞こえなかった。
この場の雰囲気の悪さは決して自分が遅刻したことから起こっているのではないことは新人の誠ですらわかっていた。
こういった場を素早く嗅ぎ分ける感覚は生まれ育った環境からもきていたが、社内ではもっぱら裕子を巡って社長と専務が熾烈な争いを展開していることは噂に上っていて、元々社長の愛人だった裕子は社長がモノの弾みで紀子に通いつめている間、腹いせにかねて口を利く機会の多かった専務に言い寄り、それが社長に知れるところとなり一悶着あったからである。
自分を育ててくれた母も同じだったと誠は苦々しく思った。
仕事の終わった深夜、酔いつぶれた母親は当日の客と称する男達を自宅に誘い込んで、襖一枚隔てた隣で嬌態を晒した

男達と関係を持った最初の内は子供達のいる目の前だろうと昼間っから好色に明け暮れた睦言も、熱が冷めると静香の飽きっぽい性格と商売女にありがちな計算高さが災いしてか相手は次第に敬遠するようになる。
そんな男達を逆恨みし、母親の静香は昼真っから酒に明け暮れ、暮し向きのやりきれなさを逆らうことの出来ない子供達に向けた。
 テレビ番組の中で出演者が馬鹿なことを口走れば最初はテレビに向かい散々悪口雑言を並べ立て「お前達だって同様だ、馬鹿が揃いやがって!」 いきなりコップや一升瓶が飛んだ。
 替わりの酒を買いに行かされた翌日から買い物をするお金が底を付き、一日一食ご飯に塩をまぶして食べ飢えをしのいだ。

「注いで口上を垂れれば上出来」
周囲の雰囲気を見ながらも専務のお膝元で酌の続きを始め、順次酌をして会場を一周回った頃には返杯を受けすぎて急激に血の気が引くのを感じたがすでに遅かった。
会場の襖を開けたすぐその場で胃が迫り上がり嘔吐物が口からはみ出すのを必死で押さえながらトイレに走った。
激しい頭痛が襲い、嘔吐のため腹部が急激に収縮を繰り返し全身に痙攣が走る、胃の内容物が無くなっても迫り上がりは一向に収まらず口と言わず鼻腔と言わず噎せ返るような汚物が噴出し苦悶する中で誠は宴席と大人の世界を呪った。

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薄幸の女 由美

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この文章はあるひとりの女性が生まれついての環境とその後に降りかかる生活苦から逃れるため起こした様々な行動を密かに日記にしたためたものを元に再編しています。
 内容が事実に基づくために地名や人名はフィクションとさせていただきます。


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